1400年代の半ばから存在していたから琉球の錫工芸文化。
首里城の屋根等に錫が使われていたこと、泡盛の蒸留器製造に必要なことからも琉球文化には欠かせないも
のであったことがうかがえます。
銀白色で美しく、お酒を美味しくさせる錫は珍重され、祭祀道具や酒器として大切に扱われてきました。
なかでも耳盃や御玉貫といった最上位の酒器は琉球独自の美しい造形で、泡盛を入れて捧げ、国の安寧や五穀
豊穣など感謝や祈りが込められました。
また泡盛の製造で不可欠な蒸留器や首里城の屋根などに錫が使われていたことからも、琉球の人々は錫の特徴
を熟知し文化を育んできたと言えます。
それらを製作していたのは『シルカニゼーク(錫細工)』とよばれる少数精鋭の職人たちで、
王府管轄の下その技術は脈々と受け継がれていました。
しかし、100年ほど前にその技術は途絶え、やがて人々の記憶からも消えていくこととなりました。
2000年代あたりにようやく研究が進んできた分野の上、一般書籍やインターネット上で検索しても分からな
いことばかりかと思います。 それも当然で、沖縄の金属工芸自体無かったという人がいるほどでした。
研究や復元で判明した多くのことがありますが、工房立ち上げのきっかけとなった文献、書籍の一部を紹介い
たします。
◆粟国恭子「近代沖縄の金属文化~失われつつある技術と向き合う思考」 2013年
沖縄文化(学術刊行物) 第47巻1号 通巻113号 沖縄文化協会
◆粟国恭子 「琉球と錫について」 1998年
「首里城研究」No.4 首里城公園友の会
◆粟国恭子 「耳盃について」 1997年
「首里城研究」No.3 首里城公園友の会
工房ではでは琉球金工品の研究や復元製作のかたわら、文化講座やワークショップにおいて当時の錫器の使い
方や高度な製作技術を伝える活動をしています。